いつかあなたと会うために…

2015年6月、息子を自死で亡くしました。いつも前向きで、一生懸命に生きてきた息子が自らいなくなるなんて未だ信じられません。
助けてあげることができず、本当にごめなさい。こんなお母さんを許してください。

何が幸せなのか

今日はどのテレビのチャンネルも震災のことを主に取り上げています。


映像を見ると苦しくなるので、ついテレビを消してしまいます。


震災であれ、事故であれ、また病気であれ、特に小さな子どもや若い人が命を落とすのは特につらいです。


しかし、先日、99歳の女性が100歳まで生きるのが嫌だった、独りで寂しかった、年寄りが集まっても一人浮いていた…と海に身を投げた方がおられました。


よく『おばあちゃん長生きしてね』などと言いますが、このニュースで長生きが本当に幸せなのか、長生き出来ないのは不幸なのか、と考えてしまいました。


息子は不幸にも23年しか生きられませんでした。最後はつらく寂しかったことは想像に難くありませんが、それまではどうだったのか…色々なことにチャレンジして、勉強して、たくさん友達がいて、皆から愛されて…

でもやはり、最後のつらさ、寂しさ、苦しさを思えば、幸せだったとは言えないのでしょうか。


お通夜の日、住職さんから『この子は賢い子です』『この子が考えて考えて考えた末に選んだのです』と言われ、その後に『だから残されたものは自分を責めるな。この子を責めるな。』という言葉が隠されていたように思います。


息子が本当に不幸だったのか、本当は幸せだったのかは、本人にしか分かりません。でも私は、息子が私の子どもに生まれてきてくれたことが本当に幸せでした。


私は長生きしなくてもいい。早く息子に会いたい。

いつ…

息子が亡くなって3ヶ月ほどたった頃、待っても待っても帰らない息子、私自身、これからどうやって生きていて行ったらよいのか分からず、毎日毎日悲しくて、辛くて、鬱っぽくなってしまいました。

心療内科で安定剤と睡眠薬をもらうようになりました。

それでも12月にはとうとううつ病になってしまい、今は仕事を休職しています。


今日のような雨の日は、とても体調が悪く、何もできません。

一日中、息子の事を考えてしまいます。

そして、あの時こうしていたら、息子は死なずにすんだのではないか…と何度考えてもやり直しができないのは分かっているのに、ついついそんなことばかり考えてしまい、また、泣いてしまいます。


この悲しみから抜け出すのは、私が死ぬか、息子が帰ってくるかしかないと思っています。


私はいったい何時まで生きるのでしょうか?

何時がきたら息子に会えるのでしょう?

亡くなった日の出来事

息子が亡くなった日、私はなかなか息子に会いに行けませんでした。


仕事の関係上、県外で一人暮らしをしていた息子が発見されたのは朝8時半頃でしたが、私にはなかなか連絡がつかず、更に警察署に事情聴取に行っていたのです。

息子に会えたときには、何時かは分かりませんが、もう薄暗くなっていました。


私は直ぐに変わり果てた姿の息子を抱きしめ、何度も何度も名前を呼んで泣きました。その体はやせ細っていました。

どれだけ泣いたか分からない程泣きました。


私が息子のところに行ったときには、義父母が来ており、荷物を全部片づけてしまっていて、息子が最後にどのように暮らしていたか分からずじまいでした。

そして義父より信じられない事を言われました。息子の荷物のことを『もうゴミだから全部捨てて帰れ』と。


私は主人とは別居をしており、お互い実家に帰っていました。子供は全員、私と一緒に暮らしていました。


いくら一緒に暮らしていなかったとはいえ、よくもそんなことが言えるものだと腹が立って仕方ありませんでした。

このとき既に、息子が使っていた歯ブラシとコップはゴミ袋に捨てられていました。もちろん、拾って持って帰りました。言葉は悪いですが『お前が死ねクソジジイ』と何度も心の中で叫びました。


義父母とは、後にも色々と問題があり、ここで悪口を言っても仕方ないのですが、その問題もまたかかせてもらおうと思います。


この義父は孫である息子が亡くなっても、一粒の涙さえ流しませんでした。